捲ること

私の母は身体が昔から弱かった

学校から帰ったら寝込んでいることもあった

ポカリスウェットを買ってきて、と

頼まれることもあった

暗い部屋でカーテンを閉めて横になる母の姿は

特別ではなく私にとって日常的なものだった

母はそれから難病を発症してしまった

根本的な治療薬はなく辛そうだった

料理が好きで上手だったが少しずつできなくなっていった

焼きうどんばかり続いた日にまた焼きうどんか、と

言ってしまった私の発言は悔やまれる

家の中での転倒も次第に増えていって

顔から倒れ血だらけになって地面に倒れている

母を介抱した時のショックはとても大きなものだった

兄も父もそれほど真剣に母のことを考えているようには見えなかった

だから私は一人で母の心身に気を配っていた

次第に母の手料理も食卓から消えていった


コロナになってから私は実家を出ることになった

別居していた父が母とまた暮らすようになってから

ストレスも増大して難病の症状も悪化していった

だけど私たち子どもを最優先してきた母は

強い眼差しだけは保っていた

その一方で衰弱していく肉体も存在していた


一ヶ月に一度、実家を訪れて母の顔を見るのが私の楽しみだったけど

それが段々と苦しくなってきたのと

母の容体の変化に心がついていかなくなっていた

娘としての役割は今まで通りの私で接することだと思い

努めていたけれど実家からの帰り道にいつも

泣きそうになっていた

母と人生の殆どの時間を共に過ごしてきた私は

そう簡単に受け入れることなんて出来なかった

親の死についてなんて考えられないことだった

でも近づいている匂いがして恐くなった

一番私を愛して理解してくれている人と会えなくなる

どう理論付けても納得いかない

母より長く生きるプランなんて用意していなかった


誰かに話したくてもこんな話できない

出来たとしても軽率に返されたらより塞ぎ込む

赤い満月の日に私は空が広く見渡せる場所に

電車に乗っていった

そして母のことよろしくお願いしますと

ご先祖様にお祈りをした

母からの電話は聞き取るのが困難だった

ゆっくり話してくれるけど

一文字ずつ確認していく作業が必要だ

こういうこと言いたいのかな、と

復唱するのが当たり前になっていた

母が頑張って打ったメールの中身はいつも
 

「あ い し て る よ」


漢字変換もままならないこのあいしてるは

たくさんの意味が含まれているのだと

受け取っている

体調は大丈夫なのか、とか

ちゃんと食べているのか、とか

風邪ひかないようにね、とか

私は受信メールにフラグを立てて消えないよう

保存していた

最近読書をしている

読んだのは「ライオンのおやつ」

自分の死より大切な人の死の方が何倍も恐かった

残された私はどうしたらいいのか分からなかったからだ

途方もなく心がバラバラに

それこそ心が末期になると予想した

今も気を病んでいるけれど

更におかしくなるのではないかと思った



でも、もし母が私より先に死んだとしても

母は違う形になって見ていてくれると

この本を読んで何となく感じた

少しだけほんの少しだけ心が楽になった感覚

子どもの頃に母に作ってもらった

フレンチトーストを思い出した

安いパンに卵とお砂糖を混ぜて浸して

フライパンで焼くあの香り

貧乏を感じさせない母の温もり

兄の友だちが集まる家の賑やかさ

少量を大勢で分ける幸福感は忘れられない

最高潮の幸せを知っている

子どもが好きだった母はみんなのお母さんみたいで

どんなに出来の悪い私も褒めてくれた

取っ組み合いの喧嘩も思春期の頃した

私の方が身体が大きいから勝ってしまうので

手加減を覚えたのもその時期

手を出して母に勝つのは、父にえらく叱られたからだ



もし私が将来子供を授かってもその時には

もう母は今より動けないかもしれないし

況してやこの星にいるかも分からない

でも生まれ変わってまた私の家族になってくれたらいいなって思った

まだ時間はある

母に会って話をしたい



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